占術・三元派北斗流推命術の継承者として、世の中で見聞きし出会った事を、日々綴って参ります。


by 魚のおじさん
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「アーカイブ」・・・瓦片への思い ①

初めまして

 土師祈昌の娘の実紗です。

 父が昨年の10月に脳血栓で倒れた為に、このブログを中断してから随分になり、多くの読者の方から心配するメール等を戴いて居りましたが、返信する事も叶わず、申し訳ありませんでした。

 幸いにも、父の症状は思ったほど重くなく、若干の後遺症は在るものの、自分で日常生活を送れる程に回復し、現在も通院しながらリハビリに励んで居ります。

 今回、父の依頼を受けて、昨年の8月1日から8月6日に掲載した記事を「アーカイブ」として掲載させて戴きます。


 先の戦大から、70年の時を経て、『戦後70年』『被爆から70年』と、言う言葉を、毎日の様に耳に致します。


 広島に生まれ育ち、今なお、広島で暮らす私には、他の方々とは別の、感慨を抱いて居るのかも知れません。



 8月が訪れ、原爆に纏わる過去の一連の記事を、「アーカイブ」として掲載させて戴きます。



【2015年1月24日 掲載記事】【7月20日・予約投稿】

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  元安川の川辺


 今日は、私の体重の半分を支えて呉れて居ります、近所の、お好み焼き屋さんの記事を書くと、お好み焼き屋の、お姉さんに言って居たのですが、、このブログの、数少ない一般読者の方々から、先日の記事について、沢山のコメントを頂きました。

 私の如き愚者に、コメントをくださり、この場を借りて、お礼申し上げます。

 賛同や応援、批判される方も御座いましたが、私は、自分の思いを、簡潔な文章で表現する能力が無い為、いったん書き始めると、文章が長くなりますので、未だ、全ての方に返信出来て居りませんが、出来る限り早く返信致しますので御理解、並びに御了承ください。

 その中に、数人の広島の高校生の方から、私が高校生の頃、携わっていた 「高校生平和ゼミナール」 の活動や発足当時の状況等について、質問されましたので、此れについては返信はせず、記事として書かせて頂きます。



 私が、高校1年生の時 (昭和52年・1977) の夏、副担任だった大亀先生 ( 理科の教諭で、大学を出たばかりの新任教師で、年齢も近く、気さくで情の深い、良き兄の様な存在でした ) の肝煎で、戦時中に、戦意高揚の目的で制作された映画 「斗う兵隊」を観た数人の生徒が集まって、社会科学研究同好会を発足しました。


 会では、最初の取り組みとして、『 自分達の街に残っている、原子爆弾の痕跡を探そう 』と言う事で、「原爆の影探し」を致しました。

 「原爆の影」 とは、原子爆弾が炸裂した瞬間に生じる、強力なγ線によって、人や建物の影が、壁や石に、レントゲン写真の様に焼き付けられた跡の事です。

 その影を見付け、それが現存物同士の影ならば、その両端を結んだ直線の延長線上に爆心地 が在ると考えられますので、この影を、二ヶ所発見出来れば、その延長線上の交点が爆心地 になると言う訳です。

 自分達の手で、もう一度、確かめてみたかったのでした。

 被爆直後には、無数に在った「原爆の影」でしたが、30年以上経過して居りましたし、ある程度の資料は在ったものの、特化した資料は無い為、市内の「それらしき場所」を、皆で手分けして、自転車で訪ね回りながら、「それらしき影」は見付けたものの、正確に方向を示す影を発見する事は出来ませんでした。

 そして、次の取り組みとして「開発されていない川になら、何か残っているのではないか」と考え、日曜日の干潮の時間に、大亀先生や、会のメンバーが、長靴履きに、軍手にスコップを抱えた姿で集まって、平和公園 の東側の、潮が引いた、元安川の河原に下りて行ったのでした。



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潮が引いた元安川の河原



 最初の内は、何か出て来ないかと、てんでに何処彼処をスコップで掘り返して居りました。

 私が、アサリほどの大きさが在る、シジミがゴロゴロ出て来るのに驚いて、

 「大亀先生、此れ、食えるかねぇ?」と聞きましたら、先生が、

 「食わん方ぉがえかろぉ、腹痛ぁ起こすでぇ。」と、笑いながら仰いました。


 現在は、元安川も含む、太田川水系 は、上流までも、完全下水体制が整って居りますが、当時は未だ不完全で、今ほど水質が良く在りませんでした。

 太田川水系の下流にあたる元安川は、汽水域で、干満の差が激しく、発掘作業の時間が限られますので、私達は忙しく作業を進めました。


 その内に、先輩 ( 1年生は私一人でした ) の一人が、河原に転がっていた瓦片の異常に気付き、先生に見せますと、瓦片の表面に在る無数の水泡の様な凸凹が、水などに腐食されて出来る浸食では在り得ない事から、原子爆弾の影響に由るモノと判断しました。

 それで、皆が一斉に、河原に無数に散乱していた瓦片の中から、原爆の影響を受けたと思われる特徴の顕著な物を探し出しました。

 皆、興奮して歓声を上げながら、此処でも、あそこでも見つかり、曲がったガラス瓶なども見つかりました。

 一生懸命に、時が経つのも忘れ、大汗を掻きながら、拾い集めました。


 やがて潮が満ちて参りましたので、作業を断念し、平和公園の川岸に上がったのでした。

 皆、興奮と達成感で、瞳が輝いて居りました。


 拾い集めた瓦片等は、大亀先生が持ち帰られて、知人の大学教授に鑑定を依頼する事にして、散会致しました。・・・続く・・・アジアの片隅より



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by asianokatasumiyor | 2016-08-04 08:15 | 反核・平和