占術・三元派北斗流推命術の継承者として、世の中で見聞きし出会った事を、日々綴って参ります。


by 魚のおじさん
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カテゴリ:二十四節気( 7 )

今日は小満です。

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 旧国鉄宇品線跡地の通称葵通り



 今日は二十四節気小満です。


 万物次第に長じて天地に満ち始めるとの意で、陽気が盛んに成り、梅雨入り間近の走り梅雨がみられる頃で、田植えの準備を始める頃でも在ります。




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 イルカ問題で会見する荒井一利会長(JAZA)



 5月20日の夕方、日本動物園水族館協会(JAZAの荒井一利会長は、イルカの入手方法に関する規約違反の為に、世界動物園水族館協会(WAZA)から会員資格停止処分を受けている事、及び「イルカの追い込み漁」で捕獲したイルカをJAZAが入手する事を禁止しなければ除名処分とするWAZAからの通達を受け、20日に行った会員による投票の結果を報告する会見を行いました。


 会見の中で、荒井会長は「追い込み漁は残酷な手法ではないと一貫して主張してきたが、残念ながら理解してもらえなかった」と納得がいかない様子で、世界動物園水族館協会(WAZA)に対し、「どこが残酷なのか具体的に指摘してほしいと何度も申し上げたが、回答はなかった」と無念さを滲ませたそうです。

 また、海外メディアから「今回の問題で日本が失ったもの、得たものは?」と問われると、「イルカの入手が困難になり、日本の水族館にとって極めて不利になった。一方で国民の関心が非常に高いことも分かったので期待に応えたい」と話したそうです。



 世界動物園水族館協会(WAZA)に残留を決めた、直後の発言とは思えない様な、海外の自然保護団体に噛み付いてくださいと言わんばかりの発言内容で、海外メディアの標的と成りそうなコメントでした。


 私、個人は、動物園や水族館の存在自体を否定して居りますので、入手方法が残酷だから駄目だとか、繁殖させたモノだから好いとか論じる事は有りません。


 私は、生き物を施設に閉じ込めて、見世物とする行為そのものが残酷だと考えて居るからですが、「いったい、追い込み漁のどの部分が残酷なのか」と主張する荒井会長の発言が、とても本心からだとは思えませんし、荒井会長の立場上、致し方の無い発言なのだと感じて居ます。・・・イルカの追い込み漁は、「結構、残酷だ」と私は思います。


 動物園や水族館の存在自体を否定し、生き物を施設に閉じ込めて、見世物とする行為そのものが残酷だと考えて居る私ですが、商業捕鯨を行って鯨を獲って食べる事には賛成ですし、「イルカの追い込み漁」についても、漁の対象がイルカで在ると言うだけで、特別な感傷は在りません。


 無知なアングロサクソン達は、太地町の漁師達を鬼畜の如く罵倒しますが、漁師が獲物を獲るの生きる為の生業の中の営みで、他所の国の連中から兎や角言われる筋合いは無い事で、威力を持って妨害する彼等こそ犯罪者です。


 漁師と言う存在は、豊漁の喜びの真裏に、多くの生き物の命を奪って居ると言う罪の意識と、憐れみと供養の心を抱きながら、日々を過して居ます。

 私は、欧米の事は知りませんが、恐らく、欧米の漁師も、同じ様な気持ちを抱いて居るだろうと思って居ります。・・・「老人と海」を読んだ感じだけですが・・・。



 とは言え、世界動物園水族館協会(WAZA)が、「追い込み漁」で捕獲したイルカを水族館や動物園が入手する事を規定違反とする事には理解できますし、此れに反する行為を続ける日本動物園水族館協会(JAZA)に対して、会員資格停止のや、改善されない場合、除名処分を行う事も仕方ないと思います。・ ・ ・ 嫌なら脱退すれば済むだけの話ですから ・・・。


 WAZA加盟継続の賛否を問う会員投票(動物園89施設、水族館63施設の計152施設)の結果、加盟継続は99票で離脱回答は43票、無効7票、3施設は無投票でした。

 主に、動物園側がWAZAに残る事に投票し、水族館側が、WAZAを脱退する方に投票した様です。



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 鴨川シーワールド



 今回の、世界動物園水族館協会(WAZA)の勧告の背景には、グリーンピースシーシェパードの暗躍が垣間見えますし、昨日の荒井一利会長の発言もそうですが、今後、日本動物園水族館協会(JAZA)を脱退してイルカを入手する水族館が出て来る事も予想出来ますし、今回の決議だけで問題が治まるとは考え難い状況です。



 私の個人的な考えでは、好ましく無い施設ですが、沢山の子供達が楽しんだり、学んだりする為の施設である動物園や水族館から、巨額の金が絡んだ世界的な政治の力や、大人達の利害が絡んだドロドロの醜い争いの為に、子供達の笑顔や歓声が消えて仕舞わない事を、心から願って居ります。・ ・ ・ アジアの片隅より



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by asianokatasumiyor | 2015-05-21 23:21 | 二十四節気

穀雨

 今日、4月20日は、二十四節気穀雨です。


 清明から数えて15日目頃で、
立夏 (5月5日または6日) の前日までの約 15日間ですが,現行暦では、その第1日目を言い、春季の最後の節気であり、穀雨の終わり頃、八十八夜と成り、暦の上では夏と成り、春雨が百穀を潤すとされ、田畑は種まきの好期を迎えます。


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 広島では、連日、愚図ついた天気で、今日も小雨が降ったり止んだりで、パッとしない天気です。


 全国的には、荒天の為に、各地で被害が出ている様ですが、皆さんの在所は大丈夫でしたでしょうか。


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 広島空港 雨で全便欠航



 4月14日に発生したアシアナ航空機の事故の為、滑走路が閉鎖されていた広島空港でしたが、17日朝から運用を再開したものの、悪天候による視界不良の為に、昨日から、ほぼ全便が欠航して居るそうです。




 最近、ドンヨリ曇り空最下位 カープ でしたが・・・



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 8回無失点で好投したジョンソン投手


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 2回 田中遊撃手のスクイズで先制点を奪取


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 8回 野間外野手の1号弾


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 鈴木誠1号2ランで駄目押し



 降雨の為に、30分余り試合が中断し、好投していたバルデス投手の後を継いだ投手陣が期待に応えられなかった事も在りますが、昨日の試合は、今期初の快勝と言えるでしょうか? ・ ・ ・ 終り良ければ全て良し!



 天気予報によれば、明日からは、好天が続くそうです。



「鯉のぼりの季節は、カープの季節」と、昔から言われます。


 実は、カープが、「球界のお荷物球団」と卑下されて居た頃、選手層が薄い為に、シーズンの序盤しか対等に戦えない状況を、揶揄嘲弄した言葉です。


 人柄・・・努力・・・過去の実績・・・et cetera。


 色々在ると思いますが・・・。


 「実力無き者は去れ!」


 「結果無き者を切れ!」



 有り余る人材を抱えた今、この言葉を、緒方監督におくりたいと思います。


 2回裏の攻撃・・・好調の田中広輔選手に、敢えてスクイズを指示して先制点を取る事を優先させた戦略は、賛否両論在ると思いますが、私は最善の策だったと思います。



 自分に厳しく、人には優しい、人情家の緒方監督ですが、此処は心を「戦いの鬼」として、チームの選手からは憎まれ、対戦チームからは恐れられる、闘将と成ってください。



 そして、儂に、昭和59年(1984年)以来の、日本一のカープの優勝パレードを見せてください。 ・ ・ ・ アジアの片隅より



おきてがみ

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by asianokatasumiyor | 2015-04-20 17:05 | 二十四節気
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 縮景園(広島市中区)松の菰外し


 今日、3月6日は、二十四節気啓蟄です。


 啓蟄の啓(けい)には、「ひらく」との意味があり、蟄(ちつ)は、「土中に冬籠りしている虫」の意味で、大地が暖まり冬眠していた虫が、春の訪れを感じて、穴から出てくる頃とされています。

 広島市内の観光名所で在り、市民の憩いの場でもある縮景園でも、毎年、啓蟄に、菰(こも)外し を恒例行事とされている様で、テレビのニュースなどで報じられています。


 啓蟄の頃には、交通事故で足を悪くする以前には、チヌ ( 黒鯛 ) 釣りに、よく行ったモノです。

 私は、魚の中では、チヌが一番の好物です。

 特に、この時期のチヌの未成熟の卵巣の煮付けは絶品です。

 産卵期の成熟した卵巣は、粒が大きく固い感じですが、この時期の卵巣は、粒が小さく、なめらかで、独特の濃厚な味わいが有ります。

 チヌには独特のクセが有るので、嫌う方も多く、価格も真鯛よりも随分安いのですが、個人の嗜好は、まちまちですから優劣に付いて論じる事は致しませんが、チヌのクセこそが味わいで在り、卵巣の味に関しては、真鯛よりもチヌの方が、圧倒的に美味しいと思います。

 しかし、チヌの卵巣は煮え難く、半煮えを食べると食中毒を起こします。

 場合に寄っては、極度の下痢と嘔吐や、全身に発疹が出来て高熱を発症します。

 その辛さは凄まじいモノで、私は、子供の頃に、チヌの半煮えを食べて食中毒を起こして入院した経験が有りますので、身に染みて解って居ります。

 以前は、広島の漁師の中にも、「チヌの子 ( 卵巣 ) は、河豚より、いびせぇ ( 怖い ) 」と言って、チヌの卵巣を食べない方も多かったのですが、昔は今の様に、調理器具が発達して居らず、竈 ( かまど ) などで、マキや炭火で煮炊きをして居ましたから、半煮えに成って仕舞う事が多かったからではないかと思います。

 確り煮れば、何の問題も無く美味しく食べられます。( 私は、念には念を入れて、落し蓋をして20分は煮込みます )

 チヌは、特殊な生態を持つ魚で、産まれてから2~3年までは全て雄で、成長すると卵巣が発達して来て、殆んどか雌に性転換します。

 大きなチヌほど、大きな卵巣が有るので、広島の独特の釣り技法で在る、「被せ釣り」をして大物を釣って居ました。

 また、この時期から、4月の初めに掛けてが、広島牡蠣が、一番美味しい時期に成り、しかも、価格が随分安く成りますので、京都の義父母や、関西や関東に住む友人の所へ、毎年、牡蠣を送る事にして居ます。

 年末年始の牡蠣は、価格も高く、見栄えは良くても、芯から太って居ない為に、加熱すると半分くらいに縮んで仕舞いますが、この時期に成ると、芯から太って居るので、加熱して凝固して来ると、逆に大きく成った様に感じられる程で、味も濃く、大切な人に食べて貰いたいと考えるなら、この時期が最適です。



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牡蠣の幼貝を育てる牡蠣ひび(棚)と遠景




 2月9日の記事に、広島に伝わる、独特な釣りの技法で在る、「被せ釣り」に付いて、このブログの、数少ない一般読者の方から、2,3質問が御座いましたので、ブログを通じて伝授したいと思います。

 「被せ釣り」に付いて、ネットを検索した処、広島で一般的に行われている「被せ釣り」に付いて、非常に丁寧に紹介されているサイトが在りましたので、其方を御参照ください。 ⇒ ⇒ ⇒ 此のサイトです。






 牡蠣の養殖が盛んな広島では、養殖業者から分けて貰ったり、海岸に自生して居る天然の牡蠣を採取する事が容易なので、牡蠣を使って「被せ釣り」をする事が多いのですが、基本的には二枚貝で在れば、「被せ釣り」をする事が出来ますし、栄螺などの巻貝でも、同様の釣り方をする事が出来ます。

 しかし、本来の「被せ釣り」の仕掛けは、上の写真の様な物で、この仕掛けの針先に小海老などの餌を付け、上部の布に砂や砕いた貝や撒き餌を包んで海中に沈め、魚の居る棚まで下ろして2,3度さびきますと、留め金が抜けて布がほどけ、中の物が散らばる仕掛けに成っていて、寄ってきた魚が釣り針に食い付いたところを釣り上げます。

 撒き餌に布を被せる事から、「被せ釣り」と呼ばれ、江戸時代以前から全国的に在る、伝統的な漁方です。( 写真では、便宜上、布から釣針までの長さを短くして居ますが、実際は1m程です )


 1月21日の記事でも触れましたが、祖父が、釣友で在った、広島の老舗百貨店・福屋 の創始者である香川源兵衛氏と、マツダ の創業者・松田重次郎氏 と釣りに行った際には、現在の「被せ釣り」を行って居たと、父が言って居りましたので、少なくとも、戦前には、音戸の漁師の間で、現在の釣り方が行われて居た様です。


 今日、紹介する「被せ釣り」は、私が小学生の頃、小遣い稼ぎの為に、漁の手伝いに行って居た、母方の親戚の釣り名人である、お爺さんから伝授して戴いた、「熊太郎被せ」です。

 通常、「被せ釣り」は、牡蠣の蓋側の根元部分の4分の1程度を剥がして、牡蠣の腹に釣り針を刺して釣りをしますが、この作業は慣れないと難しく、10歳の私は手間取って、お爺さんの手を煩わせて居りました。

 それで、私にも出来る遣り方を教えてくださったのが今回の「被せ釣り」で、実は、お爺さんは、私の祖父から「被せ釣り」を教わったのだそうですが、初めは上手く出来なかった為に、アイデアマンだった祖父が考案して伝授した遣り方で、お爺さんは、祖父の名をとって、「熊太郎被せ」と呼んで居られました。

 初心者や不器用な方でも、容易に出来ますので、興味の在る方は、試してみてください。





 上の写真が、基本的な仕掛けに成りますが、今回は、見え易い様に、大型の釣り針を使いましたが、本命の魚に合わせた釣り針を使ってください。

 縒り戻しから、牡蠣を取り付ける側にフック金具、釣り針と道糸の二股にします。

 道糸の長さは自分で調整なさってください。


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準備する備品

 *牡蠣打ち ( 広島で牡蠣を剥き身にする道具 ) 無ければナイフで代用
 *ナイフ
 *ペンチ
 *小さいスプーン
 *輪ゴム ( 沢山用意します )


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 牡蠣は、根本側を上にし、蓋側 ( 牡蠣殻の平らな方 ) を表に向けた場合、写真の赤い印の辺りに貝柱が在るので、この部分に牡蠣打ちの葉の部分やナイフを差し入れて切り離します。


 牡蠣殻を開ける際は、ペンチで牡蠣殻の左下の端っこの部分を潰し砕くと、刃を差し込み易く成ります。

 その隙間から刃を、牡蠣の身を、なるべく、傷付けない様にしながら牡蠣殻の背 ( 殻の膨らんだ側 ) の内側の面に沿って刃を差し入れて、貝柱を切って殻を開き、牡蠣殻の背と牡蠣殻の蓋を分けます。

 牡蠣の身は、蓋側に付く事に成ります。

 牡蠣打ちを上手に使うと、この作業を一度に出来ます。


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 写真の様に、ペンチで殻を挟んで、押え付けながらこねると、容易に割れます。( 理想的には、4分の1~3分の1で、少々歪に成っても構いません )


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 私は、写真の向きで釣り針を刺しますが、逆向きでも変わらないと思います。


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 牡蠣殻の背の内側に、スプーンで練り餌を仕込みます。

 練り餌を仕込むのが、「熊太郎被せ」の重要なポイントで、通常の「被せ釣り」との大きな違いですが、練り餌のレシピについては、後で紹介します。( 写真では便宜上、味噌を使って居ます )


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 写真の様に、牡蠣の背側と蓋側を合わせて、輪ゴムで止めて、仕掛けを取り付けます。( 投げ釣りをする場合は、念の為に輪ゴムを2本かけてください 。投げ釣りが出来るのが、「熊太郎被せ」の特徴ですが、過度の遠投には向きません )

 これを海に投入しますが、魚のアタリは、牡蠣の方から感じ取るので、或る程度の慣れが必要ですが、魚の活性が上がり過ぎて飲み込まれて仕舞い、ハリスを切られてバレて仕舞う事が多いので、其方への注意も必要です。


 練り餌は、オキアミとミックを2対1の割合でフードプロセッサーで混ぜ合わせます。

 お爺さんは、自分が獲った芝エビを殻ごと擂鉢で磨り潰し、味の素を混ぜて作って居られましたが、時代の流れを感じます。

 此れが基本素材で、狙う魚によって、アサリ・子鰯や鯖の切り身・ゴカイやコウジ等を加えて更に混ぜ合わせて完成させますが、配合に付いては、御自分で色々と試してください。


 実を言いますと、秘伝では、此れにプラスして、或る秘密の素材を練り込みます。

 此れは、秘密の素材と牡蠣と耳イカを、2対1対1の割合で鰊油 ( ニシンあぶら ) に漬け込んで、瓶の中で長期間腐らせた物で、その臭さは嗅いだ者にしか分からない、想像を絶するモノです。

 私は、シュールストレミングを、2度、食べた経験が在りますが、それを上回る殺臭で、鼻に近付けて一気に嗅いだら、恐らく気絶します。

 公表しないのは、秘伝だからでは無く、あの様な危険物の製造法を、世に広める弊害を避ける為だと御理解ください。

 但し、此れを使うと、魚の活性が異常に上がって爆釣します。・・・「猫に木天蓼 ( マタタビ ) 」の様な物でしょうか。

 私が、学生時代に、此れを伝授した、ドライブインのオーナー達は、各地で爆釣を繰り返したのですが、他に広がらなかったのは、「秘伝を他に決して漏らさない」と言う私との約束を守ってくださったからでしょうが、一般の人に薦められる様な真面な代物では無かったからだと思います。

 態々あの様な「毒」を使わなくても、容易に「被せ釣り」を楽しむ事が出来ますので、「熊太郎被せ」を試してみてください。



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 被せ釣りで釣り上げた真鯛


 嘗ては、私も釣りを愛し楽しんだ人間ですから、釣りをされる事は大いに結構と考えて居ます。

 だからこそ、釣りをされる方の中に、「不心得者」の多い事を危惧して居ります。

 ゴミを放置して帰ったり、帰る際に、要らないからと、余った餌や撒き餌を海に投げ捨てる者も居ります。

 本人は、「魚に餌を遣るのだ」思って、悪気は無いのかも知れませんが、ゴミにしろ余った餌にしろ、元々、釣り場に無かった物は、全て自宅などに持ち帰るのは、釣りをする者の大原則です。

 雑魚だからと言って、海に投げ捨てたりする光景をよく見かけますが、乱暴に扱った雑魚が、生き残る可能性は殆ど有りません。

 リリースしてあげるので在れば、直接、素手で触ってはいけません。

 人が素手で握るという事は、魚にしてみれば、人が大型のプレス機に全身を挟まれた上に、熱湯を浴びせられたのと同じ事だからです。

 釣り上げた雑魚が、活きが良いかどうかを確かめた上で、なるべく傷めない様に注意しながら釣り針を外してやり、タマなどに入れて、そっと海に帰してあげるべきです。


 雑魚も、調理次第で美味しく食べられます。

 食べれない様な小さな雑魚も、持ち帰って冷凍にして貯めて置き、フードプロセッサーで潰して魚肉ハンバーグにすれば美味しいですし、犬や猫の餌として使えますので、自宅に犬や猫が居なければ、御近所や知人の、愛犬家や愛猫家の方にさしあげれば大変喜ばれます。


 雑魚を、畑の肥料にする事も出来るのです。・・・釣り上げた魚は、一匹残らず持ち帰ってください。


 また、たまたま爆釣しいるからといって、どう考えても、自分では処分出来ない程の魚を釣り上げる事にも、賛同出来ません。


 坊主に終わって仕舞う事も多いので、気持ちは分かりますが、自分で処分できる範囲を超えたら、後ろ髪を曳かれる思いでしょうが、納竿するべきだと思います。


 ただ、その様な事は滅多に無く、釣れた魚を、御近所や友人・知人に御裾分けして、感謝されながら釣果を語る事は、釣りをする者の喜びの一つですし、余程、世間を狭くして生活されて居る方でない限り、自分の枠を超える爆釣をする事は無いと思いますが・・・。



 漁師をしていた私の父や、私に釣りを教えて呉れた、お爺さんも、「ブニ」と言う事をよく言って居りましたし、私も、よく使います。


 「ブニ」とは、広島弁で、「食い扶持」の事で、そこから、意味が派生して、「物質的な幸運」などとしても使われます。


 大漁をした時などに、「ブニが有った」などと言います。



 お爺さんについて釣りに行った時、その日は好調で、1時間足らずで、釣り上げた真鯛やアイナメで、2カ所在る舟の生簀の片方が一杯に成りました。


 どんどん釣れそうな勢いだったのですが、お爺さんは、


 「はぁ、今日は、こんぐらぁで堪えちゃろぉてぇ。いのぉや。」と、言って、帰り支度を始めましたので、「お爺さん。まだ来て間も無ぁし、よぉけ釣れよるのに、何でいぬるん?」と、聴きましたら、


 「こんだけ釣りゃぁ充分じゃ。今日は、ちぃとの時間で、いっっもより、えっと釣れたんじゃけぇ、その分、楽ぅ出来るけぇ、それが儲けよ。えっと釣り過ぎたら魚の値も安ぅ成るだけじゃし、次に来た時の魚が居らん様になっちゃぁ冴えんけぇのぉ。」と、言いましたので、「ほいじゃが、お爺さん、次に来た時に釣れるたぁ限りぁせんよ。」と、言いますと、

 「ほぉよのぉ・・・ほいじゃがのぉ、儂ゃぁ年金も軍人恩給も貰いよるけぇ、あせりゃぁげて稼がんでめぇんよ。それにのぉ、釣り過ぎたら、種ぇ切って仕舞ぉて、あんたがオセ(広島弁・大人)ん成った頃に、魚が居らん様に成るけぇのぉ・・・あんた等に、ブニぃ残しちょっちゃらんにゃぁのぉ。」と、笑いながら話して呉れました。



 その頃、父と刺し網漁に付いて行った際に、お爺さんが釣りをする、「網代」(漁をするポイント) の近くに行きましたので、


 「父さん、あっこで、お爺さんと釣りぃ行った時に、よぉけ釣れたけぇ、あっこへ網ぃすりゃぁえぇんじゃなぁかねぇ?」と言いましたら、


 「わりゃぁ、不細工な事ぉ(広島弁・広い意味で使われますが、この場合は、道理に反する事の意)言ぅちゃぁつまらんでぇ・・・儂が何年漁師ぃしよる思ぉちょるんなら。子供のくせに船頭をしちゃぁつまらんど。」と、強く叱られ、


 「あっこが、爺さんの網代じゃゆぅなぁ知ちょらぁやぁ。年寄りがのぉ、独りで釣りぃして、飯ぃ食いよりんさるんを、儂等が網代を荒したら、儂等のブニが、無ぁ様にならぁやぁ。儂等にゃぁ儂等のブニが有らぁやぁ。」と、諭された事を、強く覚えて居ます。



 今時の漁師の方の事は分かりませんが、海を愛する強い思いや、漁師同士が助け合ったり、労り合う気持ちを持ちながら、互いにライバルとして,凌ぎ削って競い合って居た様に思います。



 随分前に、C・W・ニコル氏が、テレビの番組の中だったかで、「日本の山村は、どんな人間でも快く受け入れて呉れるが、島などの漁村は、排他的で余所者を受け入れて呉れない。」と、言う様な内容の事を話して居られたのを覚えて居ます。


 山村では、山や田畑を維持して行く為の労働力は、いくら在っても足らないのに、若者の人口が減り、余所者を受け入れても、山や荒れ地を開拓したり、使われなくなった田畑を耕せば、食うには困らない環境が在るので、地域に親しむ心を持ってさえ居れば、容易に受け入れて呉れるのだと思います。


 一方、漁村では、新しく人が入って来て漁をすれば、その分、自分の取り分が減る事に繋がりますから、どうしても排他的な意識が産まれたのだと思います。

 
 しかし、近年では、漁村でも若者の人口が減り過ぎて、限界集落と呼ばれる漁村も増えて参りましたので、ニコル氏が訪れた頃よりは、村民の意識も、余所者に対する待遇も、随分と変わって来て居るのではないかと思います。



 また、余談が長く成って仕舞いましたが、釣り上げた魚は、どんな大物でも雑魚でも、尊い命で在り、大切な資源でも在るので、何某かの縁が在って私に釣られたのだと考えられて、大切に扱ってあげて欲しいと願って居ります。



 ブログの記事に掲載する為に使った牡蠣を焼きながら、子供の頃の事を思い返して居りました。・・・アジアの片隅より

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by asianokatasumiyor | 2015-03-06 22:03 | 二十四節気
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 太宰府天満宮 飛び梅



 今日、2月4日は、立春です。


 
 暦の上では、今日から立夏の前日までが、春と言う事に為り、八十八夜二百十日の起算日でも在ります。

 とは言え、今朝も冷え込みが厳しく、『今日から春』と考えるよりも、『今日から春に向かう日』と考える方が良い様に思います。

 古くは、立春を年の始まりとしていた時期が在った為か、立春を太陰暦(旧暦)の朔日と思い込んで居られる方が在りますが、立春と太陰暦の朔日が重なる日は、暦の兼ね合いで、ほぼ30年に一度毎に訪れ、この日を、「朔旦立春」(さくたんりっしゅん)と申しまして、「特に縁起の良い吉日」とされています。
 


 日本では、立春の前日の、節分に重きを置く為か、民間では特別な行事や風習は在りませんが、禅宗の寺では、門に「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣があります。

 また、近年に始まった様ですが、造り酒屋では、「立春朝搾りと申します、立春の日の早朝に搾った新酒を、その日に販売すると言う活動を行っています。


 昨日は、私が、料理請負人として働いて居ります割烹料理店で、常連の御客様向けに、「恵方巻き」を提供させて頂き、中央市場での仕入れでを終えると、そのまま休まず、200本余りを3人で仕上げましたので、昼の営業を終えると、すぐに帰宅して休みました。


 今日は、整形外科でのリハビリも在り、慰労も兼ねて、終日、休みを戴きました。


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 病院でのリハビリを終えると、いつも行く、お好み焼き屋さんに直行しました。


 奥床しい性格?の為、独りでは、ラーメン屋や吉牛でさえ、外食の出来ない私が、唯一、外食の出来る店です。

 未だ開店時間には30分ほど早かったのですが、構わず入って行き、

 「お姉さん!…えぇかいねぇ?」と、言いながら、鉄板の前の、いつもの右端に座ります。

 「いらっしゃい・・・はぁ、( 鉄板が ) 温もっとるけぇ、構わんよ。」

 「済まんねぇ…いっっものを。」と、言いますと、お姉さんは、ボチボチと作り始めます。


 何も言わなくても、好みのモノを作って戴けるのが、常連の、常連たる所以です。

 
 お姉さんと、呼ばさせて頂いて居りますが、亡くなった父と同じ歳で、80歳になられますが、とても元気です。

 私のポリシーとして、自分の親よりも若いと思われる方には、「お兄さん」「お姉さん」と呼ばさせて頂く様にして居ります。


 広島の、お好み焼きの焼き方は、店によってまちまちですが、此処は、本当に昔ながらの、お好み焼きです。
 


 野菜は、刻んだキャベツと葱以外は入れません。

 麺は、近所のスーパーマーケットで売られている物です。

 その上に、天かすと豚肉を乗せて焼き、後から炒めたソバやウドンを乗せて焼き直し、最後に、鶏卵を鉄板に落として広げた上に乗せて仕上げます。

 普通は、写真の倍以上、山盛りにキャベツを乗せて呉れるのですが、それだと火の通りが悪く、私の好みに合わないので、半分に減らして貰って居ます。

 「よく火が通っている事」と、言うのが、広島の、お好み焼きに対する、私の拘りです。

 「広島風お好み焼き」と、言う呼び方をされる事に違和感を覚えます。
 

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 気が向いた時に、「唐麺」を、自前で買って来て使って貰ったり、自前で生牡蠣を持って行き、ミディアム ( 生牡蠣をそのまま使うと、牡蠣から水気が出過ぎて、好くありません ) に焼いて貰い、入れて貰う事も在りますが、イカ天とチーズ以外のトッピングは在りません。

 お好み焼き以外のメニューは無く、ジュースやビールが欲しければ、近所の酒屋さんで買って来ても構いませんが、私は、酒も煙草も遣りませんので不要です。

 最近、広島では、フォアグラを入れたり、トリュフキャビアを乗せたり、自然薯を乗せたりする、お好み焼きまで登場して居りますが、私に言わせれば、そう言ったモノこそが、広島風お好み焼きだと感じて居ります。

 戦前から在った、壹銭洋食をベースに、戦後の闇市で発展して行ったと謂われる広島の、お好み焼きは、駄菓子の延長上に在るファーストフードです。

 京都の萬養軒では無いのですから、・・・高級な食材を使えば、其れなりの味には成るでしょうが、其れなりの御値段を戴く様に成りますので、最早、お好み焼きと呼ぶべきかさえ疑問を感じます。

 ちなみに、私が、いつも食べている、肉玉そばWの料金は、500円です。


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 亡くなりました私の母は、無類のお好み焼き好きで、毎日の様に、お好み焼きを食べて居りました。

 私が子供の頃は、郊外にも沢山お好み焼き屋さんが在り、私の家の近所では、何軒も、親戚が営むお好み焼き屋さんが在りました。

 その中でも、母が行く店は、少し離れた所に在りましたので、何故、近所の店に行かずに、離れた場所に在る店に行くのかを聞いた処、

 「あっこの姉さんはのぉ、えぇ人じゃけぇ・・・うちが言ぅ通りに焼いて呉れんさるし、店ん来ちょる人等と長ぁこと喋繰りよっても、何も気兼ねが無ぁけぇじゃ。」と、言って笑いました。

 母は、よく焼いたお好み焼きに、薄っすらとソースを塗って食べるのが好みでしたから、私の拘りは、母の影響の様に思います。

 いつも行く、お好み焼き屋さんでは、注文したら、そば玉を切らしている事がよく在り、そんな時は、私が近所のスーパーマーケットまで、スクーター ( 私は足が不自由なので、車や自転車の運転が出来ませんが、スクーターには乗れます ) で買いに行ったり、店に居る時に、お姉さんが、洗濯物の取り込みなどを思い出した時などは、私が店番を頼まれる事も再々です。

 こうした、「気が置けない」処が、唯一、私が独りでも食べに通えて居る理由で、お姉さんの、人柄で食べに行けて居るのだと思います。


 こんな極端な、店主と客の関係は別にして、御客様から親しみを抱いて戴ける様な、おもてなしをさせて頂く事も、食に携わる者として欠かす事の出来ない心掛けだと考えて居ります、


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 元祖 広島のお好み焼き屋 みっちゃん 


 近年、広島では、全国的に認知度が高く成った影響で、繁華街に、お好み焼き店が増え、観光バスが来る様な店舗まで御座います。

 しかし、その反面、郊外では、お好み焼き店が、昔の3分の1程に成って仕舞いました。

 私が子供の時分には、お好み焼き屋さんの客の半数は子供達でした。

 それは、駄菓子屋さんが兼業で、お好み焼きを焼いて居たと言う事も在ります。

 今は死語と成った「鍵っ子」が、学校が終わった土曜日の午後などに、お好み焼き屋さんに集まって、昼御飯代わりに、お好み焼きを食べて居たものです。

 少子化や週休二日制に成った所為も在るでしょう、コンビニが増えた事も在るでしょう、電子レンジやレトルト食品の普及により、子供でも、容易に食事が作れる様に成った影響も在るでしょう。


 しかし、一番の要因は、地域での、人と人との関係が、希薄に成って来た事が、その背景に在るのではないかと感じています。


 子供の頃、50円玉を握りしめて、お好み焼き屋さんに行き、肉玉そばWのお好み焼きを食べて居ました。


 いつも行く、お好み焼き屋さんで、子供が鉄板の前に座って食べて居る姿を、見る事は余り在りません。

 子供が来る事は在りますが、持ち帰って食べるそうです。


 「広島のソールフード」と呼ばれる、お好み焼きですが、そう遠くない将来、その地位を失って仕舞う日が来るのではないかと、そんな事を思いながら、お気に入りのお好み焼きを食べて居りました。・・・アジアの片隅より

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by asianokatasumiyor | 2015-02-04 12:02 | 二十四節気

大寒


大寒のイメージ映像




 今日、1月20日は、二十四節気大寒です。



 大寒は、一年でもっとも寒い時期という意で、小寒から数えて15日後とされ、小寒から大寒までの15日間と大寒から立春までを、「寒の内」と言います。



 大禊の光景



 大禊や寒稽古など、耐寒のためのいろいろな行事が行われ、寒気を利用して、凍り豆腐、寒天、酒、味噌などを仕込む時期になりす。


 私の実家では、大寒の日に産んだ卵を食べるという習慣が在り、子供の頃には、父が、親戚の家の軍鶏(当時、広島では、闘鶏が盛んで、軍鶏を飼っている家が多かった)が産んだ卵を貰って来て、卵かけ御飯にして食べて居りました。

 大寒に産まれた卵のことを「寒卵」と呼び、大寒の卵は滋養が有り、これを食べると1年健康で暮らせると言う話でした。



 しかし、大寒の一番のイベントは,「いさり漁」です。




 「いさり漁」の図



 「いさり漁」は、潮が引いて、浅くなった時を狙って、岸壁や浜で、細目の淡竹(はちく)や黒竹の竿先に、ヤス(手銛)や、掬う小さい網を取り付けた漁具を使って、舟から、魚を突いたり、海鼠(ナマコ)や栄螺(サザエ)などを掬い獲る漁です。


 二十四節気は、新月と満月の頃に当たり、必ず大潮の時期に成ります。


 大寒には、早朝に干潮に成りますので、干潮の2時間ほど前から舟を出し、漁場へ向かいます。


 通常、冬場の「いさり漁」の主要な獲物は、海鼠ですが、大寒の朝は違います。

 
 狙うのは「鰻」です。


 鰻と言うと、川や湖と言うイメージの方が多いかも知れませんが、逆に、子供の頃の私は、川や湖で、鰻が獲れる事を不思議に思って居ました。

 鰻は、海の魚だと思って居ましたから・・・。


 鰻と言うと、「土用の丑の日」と言うイメージの方が多いと思いますが、本来の鰻のは春で、春が訪れて雪が解け、水が温んで春の長雨の時期に成りますと、巣穴の中に潜り込んでいた鰻が活発に動き始め、沢山獲れたのでした。

 古来、鰻は滋養が高いとされ、病人食とも言われて居りました。

 この事は、のにも出て来ますが、話の中では、兵十が鰻を獲っていたのは、秋の長雨の時期でした。

 「土用の丑の日」に、鰻を食べる風習が出来たのは、諸説在りますが、平賀源内を起源とする説が、最も知られています。


 
 海と言いましても、突拍子も無い程の沖合に居る分けでは無く、川の河口に近い汽水域に多く生息して居ます。

 岸壁に積み上げられている、石と石の隙間を住処として、石の上に寝そべって居る事も在りますが、大抵は、餌を物色する為に、頭の辺りだけ出しています。

 エンジンを止めて、岸壁づたいに水中にライトを照らし、鰻を見付けると、ヤスで突いて捕らえます。

 不思議なもので、ライトを当てても、殆んど反応しせんが、音を立てると、すぐに引っ込んで仕舞います。

 
 湖や川と比べ、海は、冬でも水温が下がらない為に、鰻が活動して居り、寒の鰻は、油が程よく落ち、臭みも無く、身も程好く柔らかで、絶妙の味わいが在ります。

 大型のモノが多く、500gから1kg在り、大きなモノは2kgを超えますが、小骨が目立ち、大味で、余り美味しく在りません。

 鰻は、魚の中では、寿命が長い部類に入り、30年以上生きるそうで、私は、以前、4kgの大物を獲った事が在りますが、私が子供の頃、父は、網で2貫目を超える(約8kg)の超大物を獲った事が在りますが、皆に見せた後、「主じゃけぇ」と言って、海に放してやりました。

 鰻が、8kgに成長するのに、いったい何年生きて来たのかは分かりませんが、無学では在りましたが、生き物の命を奪う事を生業としているからこその、生き物に対する憐みや、自然に対する畏敬の念を持った、真の海人だったと思います。


 そんな訳で、大寒に鰻をいさりに行きますと、「縁起物じゃけぇ」と言って、うちで食べる分と、親戚や友人に分ける分を獲ったら、早々に漁を終えて帰るのでした。



 
  鰻を捌く


 漁から帰りますと、鰻を氷水に浸けて、動きを鈍らせてから捌きます。

 関西では、腹から開きますが、父が背開きで開いて居りましたので、基本としては、私も背開きで開きますが、京都に居た頃に、腹開きも習いましたが、背開きにした方が、油がのって居て、美味しいと思います。

 特に、寒の鰻は、背開きに限ると思います。





 鰻の蒲焼き 


 鰻に限らず、素焼きにするなら、魚も肉も野菜も、炭火が良いですねぇ。


 ガスだと、ガスの臭いが着くと言いますか、好く在りません。


 炭火ですと、煙の匂いも着いて、好い加減に成ります。


 実は、私は、鰻を焼く臭いが大嫌いです。


 タレを付けてからは、甘く香ばしい馨りがして良いのですが、素焼きをする時の臭いが大嫌いです。

 特に、出汁を取る為に骨を焼くのですが、私の感想ですが、「死体を焼く臭い」と同じ臭いがします。

 煙が髪の毛にかかると、臭いが染み込んで、なかなか取れません。

 鰻の蒲焼きは大好きですが、自分で焼いた後は、葬儀に参列した記憶とリアルに重なって、あまり食べたく無くなるのでした。



 私は、釣りや網で獲るのと違い、直接、獲物を見定めながら捕らえる、「いさり漁」が、とても好きでした。


 テレビで、濱口優 さんが、「獲ったどぉぉお!」と、叫ぶ気持ちが、よく解ります。


 足を悪くしてからは、「いさり漁」どころか、釣りにさえ行っていませんが、今日は、何処か、鰻の美味しい店にでも行って、うな重を食べようと思っています。・・・ アジアの片隅より


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by asianokatasumiyor | 2015-01-20 22:34 | 二十四節気

1月6日 小寒

今日、1月6日は、二十四節気小寒 です。



  寒稽古



 冬至から数えて、15日目頃で、冬至大寒の中間に当たり、寒さが加わる頃という意味で、「寒の入り」となり、小寒から節分までの30日間を「寒の内」と言い、寒風と降雪の時節で、寒さが厳しくなる頃とされています。


 一年の内で、最も寒くなる時季で、この「寒の内」に、寒稽古や寒中水泳が行われます。



 今朝は、未明から、小雨が降り続く、愚図ついた天気ですが、この時期にしては、気温が高く、私などは、昨夜から窓を全開にして、Tシャツと半パンで過ごして居ります。


 今日は、雨なので、散歩にも行かず、店の方も、遅く入る日なので、部屋でのんびりしています。


 今、料理請負人として働いている、友人が経営して居ります割烹、は、午前11時30分から2時までと、17時から22時までの営業時間ですが、私は、一日中、働いて居る訳ではありません。


 それと言いますのは、日曜日・祝日が定休日で、月曜日と木曜日と土曜日には、店の若いのを連れて、早朝(3時)から、広島中央卸売市場に仕入れに行きますので、仕入れに行った日は、仕入れを終えて店に入り、魚の鱗をうって腹を開け、物に寄っては三枚におろす等の下拵えを致します。


 その後、皆が出勤して来るまで、他の食材の下拵えをしたり、煮物などを仕込み、昼の仕事を終えると、若いのと「賄い」を作って食べた後は、余程の事が無い限り、午後3時~4時には、仕事を終えて帰ります。


 市場に行かない日は、開店前(11時)に厨房に入り、御客様の入り具合いにも由りますが、夜8時から、遅くても9時には上がります。  


  以前は、魚や食材の仕入れは、全て、昔から付き合いの在る、信頼のおける仲卸業者に依頼して居りまして、私が、鮮魚の卸業を営んで居りました頃は、業者として入って居りました。


 私が入ってから、と言うよりは、若いのを連れて市場に仕入れに行く為に、料理請負人として、私が招かれました


  実は、店の若いのと言うのは、友人の長男でして、料理学校を出てから、直ぐに店で働き始めましたので、余所で修行した経験が無く、店主の息子と言う位置で、「甘え」ない為と、直接、魚や食材を、自分の眼で見て仕入れをする経験を積むと共に、日頃から市場の関係者と交流を持って、コネクションを作り、経営者としての資質を身に着けさせたかった様です。


 謂わば、「息子の教育係」で、私は、店では、「先生」と呼ばれています。


 月・木・土曜日以外の仕入れは、以前通り、業者に依頼しており、市場が立たない(暦の関係 で、臨時開市日や臨時休市日が在ります)水曜日には、若いのを連れて、私の祖父の代から付き合いの在る、島しょ部の漁師さん達の所に、直接、仕入れに行く場合も御座います。


 市場が、水曜日に休市日に成りましたのは、30年余り前の事でした。


 旧草津魚市場は、広電草津南駅の近くの、国道2号線沿い に在り、幾つもの卸問屋が集まって市の態を成していました。


 1958(昭和33)年に、打ち立てられた「大広島計画」 の基本構想の下、「西武開発事業」 に依る、庚午・草津・井口地区の地先水面の埋め立て工事が、1966(昭和41)年に着工され、1982(昭和57)年に、竣工しました。


 県や市は、当初の構想通り、市内各所に分散していた、鮮魚・青果・食肉等の市場を統合した施設として、現在の位置に、広島市中央卸売市場を設置しました。


 当初は、市場の関係者も、漁業者も、移転に大反対して居りましたが、国・県・市ともに、税金・衛生面・許認可などに亘る、かなりダーティーで強弁な圧力を掛けて、これを屈服させて、第三セクター方式となる、広島市中央卸売市場を設立しました。


 それ以降、お役人がする事なので、週休二日制が導入されましたが、土日を休みに致しますと、様々な業者に悪影響が及ぶ為、間の水曜日が閉市日に指定されたのでした。



  広島中央卸売市場


 

 私は、事故で、右足が不自由に成ってからは、車の運転は、なるべく控えています。

 

運転が出来ない訳では無いのですが、左足なら、まだ良かったのでしょうが、右足が不自由ですと、ブレーキやアクセルの操作が、どうしても元氣だった頃の様に、俊敏な対応が出来ませんので、若しもの事が起きて、他人様まで不自由な身体にして仕舞ったり、命まで奪っては、取り返しがつきませんので、運転は極力控えております。


 その様な訳で、市場に行くのには、朝3時に、若いのが、マンションの前まで来て、私を拾って行きます。


 深夜ですので、車も少なく、信号も点滅になっているモノが多いので、ものの15分も在れば到着します。


 主に仕入れる、沿岸物の鮮魚の競は、5時からですし、競に直接参加する資格も持っては居りますが、卸問屋に注文を入れておいたり、問屋が仕入れた鮮魚を、品定めして仕入れますので、実際は、そこまで早く行く必要は在りません。


 時には、どうしても欲しい魚が在る時は、早く行って、競に掛けられる前の魚を物色し、お目当ての魚を見付けたら、問屋に依頼して、「先取り」と言いまして、競に掛けられる前の魚に、その日の相場の最高値以上の値を付けて、落札して貰う事も在りますが、そう頻繁には在りませんし、4時過ぎに着けば間に合います。


 必要以上に早く行くのは、若いのと一緒に、場内を回りながら、「この魚の此処がこうだから、良いとか悪い」とか、それほど忙しくない時間帯に問屋に行って、珈琲など馳走に成りながら、問屋の大将と、世間話も交えて、ビジネスの情報を仕入れたり等、少しでも私が居る間に、若いのを仕込もうと、早めに出張っているのです。


 私自身も、今も未だ、修行せねばならぬ事ばかりで、偉そうに言える輩では在りませんし、私自身もゆっくり寝ていたいし、人に教えるのも苦手ですが、「教育係」としては、そうも言って居れず、満身創痍の身体に鞭打って居ります。


 その甲斐あってか、慣れも在り、若いのも随分使える様に成って来ました。



 

   競り場の様子  



 以前は、大変でした。  


  うちの若いのは、子供の頃から知って居りますが、如何せん大人し過ぎる


 大人しいのは、或る意味、「美徳」ですが、そう言う料理人が居ても良いとも思いますが、広島の街中で、割烹を経営し、自分の家族や、従業員やその家族を養って行くには、その重責を担うだけの「気概」と、大人しいなりの「覇気」が欲しいと考えて居ました。



 如何せん、声が小さい。



 魚河岸で、声が小さいと言うのは、致命的な欠点で、例えば、戦場に在って、銃に弾が籠っていない様なモノで、相手に伝わりません。




 皆、海千山千 の、叩き上げの男達ですから、声の覇気だけで見下されて仕舞います。



 如何せん、甘ちゃんの、お坊ちゃんです。



 今でこそ、きちんと、時間より、少し早目に来る様に成りましたが、初めの頃は、ギリギリに来たり、少し遅れたり・・・まぁ、無理もありません。  店の片付けが終わるのが、早くても、午後の11時ですから、家に帰って、直ぐに寝ても、いくらも寝れないでしょう。


 家から、私の所まで、精々、10分で来れるでしょうが、私は、5分、10分前には、下の道路まで出て待って居りますので、20~30分待つ事に成ります。  まぁ、それでも、投げ出さずに来るだけは増しだと思って、笑って居ました。



 しかし、去年の6月の終わり頃でしたか、待っても待っても、来ない日が在りました。


 私は、冬用に身体を造っているので、寒いのは平気ですが、その分、暑いのが苦手でして、・・・やけに蒸し暑い日で、早朝だと言うのに、待って居ると、自然と汗が滲みます。


 暑いのより、もっと嫌な事が在りまして、それは、蚊に刺される事でして、刺されない様に、絶えず動き回り、羽音が聞こえると、手や帽子で払いのけるのですが、結局、3、4か所刺されて仕舞いました。


 の存在が、夏が嫌いな最大の理由です。



 4時を回り、東の空が白んで参りましたので、仕方なく、タクシーを拾って市場へ向かいました。  『事故やら、しちょらんにゃぁえぇがのぉ…。などと思いながら、市場に着くと、急いで問屋に向かって行き、注文している魚の確認などを済ませると、出して戴いたアイス珈琲を飲みながら、問屋の大将と雑談をして居りましたら、若いのが居ない事を指摘され、


「ほぉなんよぉ!・・・ケツぅわりゃぁがったんかのぉ!」と、笑って居りましたら、


 「優し気な、お兄さんじゃけぇねぇ・・・よぉ頑張っちょってじゃが。」と、大将の息子さんが言いました。


 その内に、沿岸物の競りが始まり、競り落とされた魚が、次々と運ばれて来て、問屋街が一層遽しく成って来ました。


 うちの店で注文していた魚も、競り落とされて来て、大将が、店の傍らに積んで呉れています。



  その内に、ようやく、人混みの間から、うちの若いのが、不器用に人を避けながら、小走りで来るのに気付きました。


   悪い事をしたと思っていたでしょうし、遅れて来た事の周囲への恥ずかしさも在ったのでしょう、照れ笑いをしながら、私の前に来ると、




 「いやぁぁ、寝坊して仕舞ぉて・・・」



 「おどりゃ~あ!!

  つばゃぁがんなよ!! 

    寝言ぉぬかしよりゃぁがったら

        海ぃつけてまうど!!」


(訳) 「お前! ふざけるなよ! 寝言を言っていると、海につけてしまうぞ!!」 



一瞬で、場内が静まり返りました。



 すぐさま大将が、私を制する様に、間に入り、周りに居た20人ほどが、何だ何だと言う風に、集まって来ました。



 声の大きさ程、激怒していた訳では無かった私は、ちょっと恥ずかしくなりながら、


  「いやぁぁ、大けぇ声ぇ出して仕舞ぉて、すんませんのぉ・・・内輪の事ですけぇ・・・はぁ、世話ぁ無ぁですけぇ、仕事ぉしてくれんさい。」 と、笑いもって言いましたら、皆、安心した様に、笑いながら、各々の仕事に戻って行きました。


  「どぉしよったんの?・・・兄ィが、事故やら、警察に止められたんじゃろぉか言ぅて心配しよったんよ・・・分かった、彼女とデートしよったんじゃろぉ。」と、笑いもって、言って呉れましたので、場の空気が和みました。


  「あんのぉ、儂ゃぁえぇんよ・・・あんたの身内みたぁなモンじゃけぇ・・・じゃが、あんたが来んにゃぁ、あんたの仕事ぉを、他の人がせにゃぁなるまぁが・・・うちの魚ぁ、大将が、こづんでくれよりんさったんでぇ!」


  「言い訳やらぁ言う前に、皆に、お礼やら、ことわりぃ言ぅんが先じゃろぉ・・・まぁ、事故やなんかっじゃぁ無かったけぇ、えかったよ。」と、笑いもって言いましたが、若いのは、棒立ちのままで俯いて、泣いて居りました。


 「兄ちゃん、はぁえぇけぇ、あんた方の魚が来ちょるけぇ、車へ持ってきんさいや。」と、大将に促され、若いのは、問屋の若い衆に手伝って貰いながら、魚を運んで行きました。



 此処の問屋の大将とは、旧草津市場の頃からの付き合いです。  


 二つ年下で、私は大学生で、彼は高校に通っていて、夏休みなどに、家の商売の手伝いをして居りました。


 私が、魚の卸業を生業としていた頃は、よく食べ歩いたり、ゴルフのコースを回ったりして居りました。


 先代が、早くに亡くなられてからは、後を継ぎ、難しい時期を何度も乗り越えて、広島でも有数の、鮮魚問屋を維持して居ます。


 私は、彼が、先代の後を継いだ頃から、大将と呼ぶ様になり、大将は、知り合った頃からの習慣で、未だに私を兄ィと呼び、飛び切りの人情家で、数少ない私の友人の一人です。


 当時は、お互いに若造でしたが、旧草津市場の事を知る、数少ない古株に成りました。



 「兄ィが、おらぶ ( 広島弁・怒鳴る ) のを、久し振りに聞いたのぉ・・・若いねぇ!」


 「じゃが、おらばれるぐらいじゃったらえぇよ、儂等が若ぁごらぁ、すぐ、ぶしゃぁげられよったけぇねぇ。」と、笑いながら言いました。


 (訳) ぶしゃぁげる ⇒ ぶん殴る



 「昔ゃぁ、市場の中じゃぁ、喧嘩もしょっちゅうじゃったし、荒い人間ばっかりじゃったが、仕事ぉするんでも、面白かったよねぇ・・・兄ィに、よぉ飲みに連れてって貰いよったけぇねぇ。」と、昔話をし始めると、互いに昔の想い出話を出し合って、若者に仕事を任せ、雑談に興じて居ました。



 その日、魚の仕入れを終えた後は、駐車場を挟んだ反対側に在る、青果市場で、食材を仕入れ、珍しく、私が運転して、店に向かいました。


 いつもなら、6時過ぎには、市場を出ますが、7時を随分回って居りましたので、渋滞に巻き込まれ、ノロノロと帰りました。


 その分、普段は話した事も無い、昔話を、失敗談を交えながら話し、彼に期待する私の思いや、店を継いで行く者の、重荷や在り難さについてを、切々と話しました。


 若いのにしてみれば、面白くは無かったでしょう・・・私が若い頃、年配者から意見をされたら、その場で在り難い言葉だと感じた事は、殆んど在りませんでしたから・・・。


 その後も、チョイチョイ遅くなる事は在りましたが、酷く怒らせたのは、あれが最初で最後で、最近は、大分身に着いて来た様で、若いのも随分使える様に成って来ました。



 

 広島市中央卸売市場の初せり



 昨日、1月5日は、広島市中央卸売市場の、初せり(大発会)でした。  


 初競りでは、今年一年の始まりの景気付に、「御祝儀相場」と呼ばれる、意図的に高く設定された高値で取引されるのが慣例に成っています。


 年末年始、天候が芳しく無かった為に、例年より入荷が少なかったものの、場内は、新年を迎えた活気に満ちて居ました。



 実は、私は、年初めからは、広島市内の料亭に依頼されて、料理請負人として、調理場に立つ予定でした。


 其方へは、2年ほど前の年末や、それ以後も、何度か結婚披露宴の懐石料理のヘルプとして、招かれて居りました。



  料理請負人としての私の仕事は、今働いている、割烹の経営者である私の友人が、全て仲介して呉れて居りますので、今回の料亭での仕事も、彼の仲介によるものでした。


 しかし、年末に常連客限定で提供させて戴きました、「懐石御節重」を詰めて居りました時に、申し訳なさそうな顔をして、


 「ハッシー(私の愛称)・・・悪りぃんじゃけど、もうちぃとの間でえぇけぇ、儂んとこで働いて貰えんかのぉ・・・向う(料亭)にゃぁ、儂が、えぇがいに言ぅちょくけぇ・・・頼むわ。」と、申しました。



 「ほぉか、ええよ。宜しゅうたのむわ。」 と、答えましたら、



  「先生、僕だけじゃぁ、未だ自信がないけぇ、これからも宜しく頼みます。」 と、若いのが言いましたので、彼の意向が強く反映された結果だと、すぐに分かりました。



 料亭での仕事は、スタッフの方々とも顔馴染みですし、料理長も、私の意見を快く取り入れてくださるので、気持ち良く仕事が出来ますし、ギャランティーが格段に良く、魅力の職場ですが、それだけに、緊張を維持し続ける為の、精神面での疲労は、半端では在りません


   ここでの仕事に、手を抜いたり、気を抜いている訳では有りませんが、ホームとビジターの違いとでも言いますか、心から楽しんで仕事をさせて戴いて居ります。



 昨日。友人から聞いた話ですと、料亭の方では、日曜日に、結婚式の披露宴が行われる時には、出来るだけヘルプで入って欲しいと言う事と、4月からは、必ず、うちに来て貰いたいとの意向なので、此処で働くのも3月一杯に成りそうです。



 『よっしゃぁ!』と、気合を入れて、今から出勤致します。・・・ 

アジアの片隅より


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by asianokatasumiyor | 2015-01-06 22:21 | 二十四節気

 朔旦冬至



  冬の夜空 

今日、平成26年12月22日は、二十四節気の冬至です。

 二十四節気は 1年を24に分けて季節の移り変わりをあらわしたもので、春は、立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨、夏は、立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑。秋:立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降、冬は、立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒に分けられており、太陰暦と密接に関連していると言うよりは、太陰暦の重要な要素であると言う方が正しいと思います。

 私が継承しております、三元派北斗流推命術は、古代中国の祖・黄帝の頃より伝わるとされる兵法を基に編まれており、占の四柱推命・奇門遁甲・天文遁甲に用いる暦法は、春秋戦国時代に完成されたもので在ると、師より伝え聞いて居ります。

 私の行った検証に依ると、現在一般に広まって居ります太陰暦と枝葉末節に差異は御座いますが、この差異は、時代の変遷と共に付け加えられたモノではないかと私は考えて居ります。

 占に用いる暦法では、冬至を年替わりとしており、占に於いては最も重要な日です。


 今年は、冬至と太陰暦の11月1日が重なる特別な年で、これを、「朔旦冬至」と申します。


 朔旦冬至は、グレゴリオ暦と太陰暦との兼ね合いから、通常は、19年毎に訪れるのですが、私が資料とした雑誌によると、次回の朔旦冬至は、19年後ではなく38年後の2052年になる様で、これは、旧暦2033年問題によるらしく、明治になって採用されたグレゴリオ暦と、天保暦(旧暦)との間に生じる矛盾なのですが、興味が御座いましたらウィキペディアを参照してください。

 私が占に用います暦法では、この影響は生じないので、安心して居ります。

 冬至では、北半球では太陽の高さが一年中で最も低くなり、昼が一年中で一番短く逆に夜が長くなります。

 冬至は、太陽の力が、最も弱まる日で在ると共に、太陽の力が、復活する日でも在ります。

 冬至は「一陽来復」の日で在り、転じて悪い事ばかり続いた後でも、漸く幸運に向う日とされ、日本やアジア圏ばかりでなく、世界中で冬至に纏わる民間行事や風習が在り、宗教的にも重要な日と位置付けられて居り、様々な祭事や儀式が執り行われます。




 冬至の定番  南瓜の煮物

 日本では、冬至を、阿吽(あうん)の思想に準えて、万物の終焉と再生を意味する「吽・ん」の音の付く食物を食べる事によって、健康に肖ろうとする風習が広く定着しています。

 南瓜(なんきん)・蓮根(れんこん)・饂飩(うどん)・蒟蒻(こんにゃく)等、様々ですが、冬至に南瓜を食べる風習が最も一般的だと思います。


 私の実家では、冬至にか否かに関わらず、南瓜の煮物は食卓に上がる事は在りませんでした。

 それは、父が南瓜が大嫌いだったからで、その代わりに、我が家では、冬至の日には、朝食に小豆粥を食べていました。

 母は、『これぇ食うたら風邪をひかんのんじゃけぇ、よぉけ食べんさいよ。』と、どんぶりに小豆粥をよそって呉れながら笑っていました。

 父は、>小豆粥を旨そうに食べながら、『今日ぉらぁ冬至じゃけぇ、余所の家じゃぁボーブラぁ食うんじゃろぉが、儂ゃぁボーブラ(広島弁で南瓜の事)がよいよ嫌いじゃけぇのぉ!と、言った後に、自分が南瓜を嫌いになったエピソードを話し始めるのでした。

 それも毎年の事でしたから、そのエピソードを、何十回聞いたか分かりませんが、既に父母は他界し、もう聞く事は出来ません。



 香り立つ広島の柚子

 冬至に柚子湯を仕立てて入る習慣も広く行われて居りますが、柚子の木は寿命が長く、病気にも強い為、此れに肖って柚子湯に入って無病息災を祈る風習になったと言われ、これが流行し始めたのは、江戸の銭湯からだと言われています。

 実際、柚子湯には血行を促進させる効果が高く、風邪予防に効果が在る事が医学的にも証明されて居りますし、柚子に含まれる香り成分には、高いリラックス効果も有る事も広く知られています。



 中国の冬至祭天礼

 周の時代(紀元前1046~同256年)には、太陰暦が確立されて、当時は、冬至を年の始まりとして居り、漢代(紀元前206~紀元220年)に暦法が改正され、正月一日を新年としましたが、周代から受け継がれていた千年来の歴史ある習慣は、国家の政令が変革されても断絶される事はなく、その後2000年以上、歴代皇帝は冬至に天を祭る盛大な儀式を行いました。

 その影響でしょうか、中国では、今でも、冬至は新年(春節)の如く大切であるとし、冬至節と呼び、庶民は神や祖先を祭った後に一家団欒して宴を楽しみ、国をあげて冬至節を祝います。



 クリスマスシーズン中のミュンヘン市街の風景

 
北欧を含むゲルマン民族は、冬至を、太陽が再び力強い生命を持つ聖日とし、新年としました。

 そして、この神聖な日に、ユールと呼ばれる祭りを行いました。

 この、ユールと、イエス・キリストの誕生日とされる12月25日(キリストの生誕日には諸説在ります)が結びついて、生誕祭(クリスマス)となりました。

 

 冬至の日は、冬の寒さに耐えながらも、世界中で、家族と過ごしながら、健康を願う行事が行われている様です。

 私は、広島の海岸べりにあるマンションの、小さな部屋で、一人暮らしをしています。

 普段は余り自炊をしない私ですが、今朝は小豆粥を炊いて仏壇に供えました。

 時々利用する銭湯の奥さんが、「冬至の日にゃぁ柚子湯をするけぇ来んさいよ。」と、仰って居られたのを思い出しましたので、、此れを書き終えたら銭湯に出掛けます。・・・
アジアの片隅より

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広島ブログ

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by asianokatasumiyor | 2014-12-22 21:43 | 二十四節気