占術・三元派北斗流推命術の継承者として、世の中で見聞きし出会った事を、日々綴って参ります。


by 魚のおじさん
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カテゴリ:日常の風景( 4 )

昨日から始めた事

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 ウポーサタ(布薩)



 事故に因り、右足が不自由に成って以来、体重が増えて痩せられないと、ぼやいて居ましたら、友人が、ウポーサタを行ってはどうかと勧めて呉れました。

 昨日が新月でしたので、早速、初めてみる事に致しました。

 ウポーサタとは、原始仏教の修行方法の一つで、簡単にいえば断食です。

 
 最近、科学の分野でもサーチュイン遺伝子と言うモノが発見され、断食の有効性が立証されつつあるそうです。(全て友人の薀蓄の受け売りです)



 実際の行い方としては、月に4回、つまり、満月の日、半月(下弦の月)の日、新月の日、半月(上弦の月)の日毎に、正午から次の日の朝まで、水以外のものを口にしないと言うものです。 


 朝食は摂っても構いませんが、ドカ食いはせずに、通常の朝食を摂ります・・・基本、痩せるのが目的ですから、神にも仏にも祈りません。



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 古武道の組手



 幼少の頃から、渋川一流柔術講道館柔道を習って居た私は、高校生の頃まで柔道の大会に出場して居りまして、小柄な体型だった為、60 kg以下の超軽量級に出場して居りましたので、身長167㎝で、体重は55kg程度でした。


 大学へ入ってからは、古武道の試合へ出場して居りまして、日々鍛錬を重ねて、常に60kgを切る体重をキープして居りまして、恐らく、体脂肪率も一桁台だったと思います。



 しかし、4回生の時に、バイクを運転中に、飲酒運転の大型トレーラーに当て逃げされて、頭蓋骨骨折を含む損傷を負い、意識不明の重体となって死線を彷徨いますが、奇跡的に復活して半年余りの間、入院致しました。


 今なら即死する処ですが、鍛え上げた身体でしたし、20m余り吹き飛ばされながらも柔術の受け身をとって身体を護った為に、致命傷を負わずに済んだのでした。


 骨折や切傷や擦過傷の無い個所は無かったモノの、唯一、鍛え上げられた筋肉に護られた内臓は無傷で、歯(衝撃で10本程折れました)が治ると、皆が早く治る様にと見舞いに来ては、滋養の在る食べ物を食べさせて呉れるモノですから、養豚場の豚状態でブクブク太って、御蔭で医師も驚く目覚ましい回復を果たしましたが、退院時には90kg近くまで太って居りました。


 退院してからリハビリに励みましたが、なかなか良く成らないので、師の友人で、修験道の束ねで在り、気功術師でも在った、吉川永泰先生の下で治療と修業を重ね、修験道の修行を行いながら気功術を身に着け、65kgまで身体を絞りました。



 現役を引退してからも、やや太りながらも60kg台をキープして居たのですが、4年前の事故で入院してから再び太りまして、現在、82kg有ります。


 此処まで足を悪くすると、走る事も、速足で歩く事さえ出来ませんし、身体を動かす事も億劫に成りますし、運動によって痩せる事は極めて難しく成ります。


 で、心配した友人が、ウポーサタ(布薩)を勧めて呉れた次第です。



 如何せん、独り暮らしをして居りますと、傍で忠告して、制して呉れる者も居りませんので、強い意志を持って自制して行くしか在りませんが、事故の後遺症の所為だけで無く、気儘で怠惰な生活を続けて参りましたので、この辺りで、残りの人生と向き合う為にも、健康な生活と身体造りに励んでみようと思います。




 私も、遅ればせながら⁉、男の更年期を迎えて居りますが、お互いに美しく歳を重ねたいと思います。・ ・ ・ 頑張りましょう ・ ・ ・ アジアの片隅より



おきてがみ

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by asianokatasumiyor | 2015-05-19 23:26 | 日常の風景

広島弁の想い出2

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 アンガールズの「元就。」



 TBS系の広島の地方局で在る、RCCテレビで放送中の「元就。」と言う番組でMCを務めるアンガールズが、食レポをする際、食べた感想を表現する、お決まりのセリフが在ります。

  
「美・味・い・で・が・ん・す!」と、田中氏が雄叫びを上げ、「美味いでがんす。」と、山根氏が普通にコメントすると言うモノです。


 「がんす」は、公用語の「~です」に相当する安芸弁(広島弁)の助動詞で、未然形・[がんひょう](~でしょう)、連用形・[がんし]、終止形・[がんす・がんした]、連体形・[がんす]の様な活用を致します。


 以前の記事で、広島弁は、広島市や呉市を中心とした、「安芸弁」と、福山市・尾道市・三原市を中心とした「備後弁」に分かれる事は説明しましたが、「がんす」は、安芸弁語圏だけに視られる特徴で、備後弁語圏では使われません。


 とは言え、「がんす」と言う言葉を、実際に使って居る場面に遭遇する事は、先ず有りません。

 私が高校生の頃くらいまででしたら、年配の女性の方が、「がんす」と言う言い方をされるのを、偶に聞く事は在りましたが、1970年代の話ですし、元号が平成に入ってからは、生で耳にした事は無く、番組の中で、アンガールズの田中氏が、「美味いでがんす。」と言うのを聴いて、本当に懐かしく思いました。

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 魚の行商のオバちゃん



 私が子供の時分には、・・・と、申しますと、半世紀・・・50年程前に成りますが、広島の漁師町には、リヤカーを引いて魚の行商をするオバちゃんが大勢居られました。


 祖母(母の母)が亡くなったのは、私が小学6年生の時でしたが、祖母は病気で入院する間際まで、リヤカーを引いて魚の行商をして居りました。

 漁協が運営する小さな市場で魚を仕入れ、町内や近隣の町へリヤカーを引いて行き、昔から馴染みの常連客を相手に魚を売るのですが、結核の為に早くに夫を亡くし、苦労をされた女性で、誰からも慕われる人情家で、とても働き者でした。

 明るく元気な笑顔で、「お早ぅがんす。」と挨拶をし、「有難ぅがんした。」と、常連さんに御礼を言って居りました。

 「がんす」と言う言葉は、年配の女性がよく使って居りましたし、行商のオバちゃんや御婆ちゃん達の間では、極普通に使われて居た言葉です。

 それは、耳にすると灰汁の強い、「がんす」と言う言葉が、尊敬語や丁寧語として使われる言葉だからでした。


 例えば、「彼方は広島の出身ですか?」と言う質問に答える場合、「ほぉじゃ。」と答えれば、「そうです。」と訳す事に成り、「ほぉでがんす。」と答えれば、「そうで御座います。」と訳す事に成ります。


 映画「仁義なき戦い」の影響で、博多弁河内弁と並んで、荒い男の方言と目されて居る広島弁ですが、丁寧語や尊敬語や謙譲語も在るのでした。

 

「美味いでがんす。」を訳しますと、「美味しゅう御座いました。」と言う、何処かで聞いた御婦人のフレーズと同じに成るのですが、その事を、アンガールズの二人が、分かって居るのか否かに付いては、私にも分かりません。・・・アジアの片隅より


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by asianokatasumiyor | 2015-03-26 17:40 | 日常の風景

うちの大将


 この処、堅い記事ばかり書いて居ましたので、息抜きも兼ねて、私の同居猫の、大将 ( シャルトリュー・騙猫・8歳 ) を紹介します。



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 以前、御付き合いを、させて戴いて居りました、女性に預けられ、彼だけが残った・・・よく在る?パターンです。

 大将と言う名前の由来は知りません。

 彼女が、そう呼んで居りましたから・・・そのまま私も、そう呼んで居ります。

 シャルトリューと言う品種だと、彼女が言っていた様に思いますが、私は詳しく有りませんので、定かでは在りません。




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 騙猫と言うのは、私が作った造語で、去勢した馬を、騙馬 ( せんば ) と言う処から、騙猫 ( せんびょう ) と、性別表記を致しました。


 私は、 「在るが儘」で在るべきと考えて居りますので、去勢などしませんが、彼女が飼っている頃、彼が2歳の時に、一春に、近所の雌猫、数匹を孕ませると言うプレイボーイ振りを発揮した為、父親の提言により、仕方なく去勢したそうです。


 現在8歳の男盛りで、気の毒にも思いますが、激しい気性だった様ですが、去勢してからは大人しく成ったそうです。

 
 正面の、アップを撮って、昔、ブイブイいわしていた男前振りを披露したかったのですが、無理でした。




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 この時期、一日の殆どを、炬燵の中で過ごし、食事とトイレと、偶に構って欲しい時、ゴソゴソと抜け出して来て、こうして炬燵に上がって、作業を中断させます。

 ちなみに、後ろに映っているのは、愛用のワープロ ( 文豪JX-750 ) で、昭和な私は、大抵の作業は、これを使って居ます。

 ワープロからパソコンに主流が代わる、最後にだされた、ワープロとしては最新型で、インターネットにも繋げる事が出来る優れ物ですが、弟子からは、


 「そんな時代遅れな代物を使っているのは、なかにし礼 と先生くらいですよ。」 と、笑われて居ります。

 とは言え、デスクトップとノートパソコンが2台在って、メールやHPの管理やブログは、専らノートパソコンを使って居ます。




 「独り暮らしをするけん、マンションじゃと飼えんけぇ、預かってね。」と、彼女に頼まれてからの付き合いですが、彼としては、いい迷惑かもしれませんが、お互いに、折り合いを付けて、日々を過ごして居ります・・・ アジアの片隅より

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by asianokatasumiyor | 2015-01-27 22:49 | 日常の風景
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元宇品の全景


 今朝も、薄っすらと雪が積って居りましたが、心地好い朝日が、部屋に差し込みましたので、朝食の前に、いつもの散歩コースを歩きました。

 今朝は、いつにも増して、散歩やジョギングをされる方が多く、擦れ違ったり抜かれたりしながら、ゆっくりと時間を掛けて歩きました。


 擦れ違う度に、「お早う御座います。と、挨拶をするのですが、挨拶を返して戴けるのは、二人に一人位でしょうか・・・まぁ、無理も御座いません、知りもしないオジサンに、挨拶をされても、怪訝な顔をしながら不審に感じるか、行き成りの事に面食らって仕舞うでしょうし、それに、こんな御時勢ですから、私の様な者でも、変な下心を抱いて居ると思われても心外ですので、御婦人や若い娘さんと擦れ違った場合、軽く会釈して通り過ぎる気遣いをして居ります。

 本当に、ややこしい世の中に成りました。

 そう言えば、元日の散歩の帰りに、元宇品の電停前の駐輪場を通り掛かりましたら、北風が強かった所為か、数台の自転車が倒れて居りました。

 何の気無しに歩み寄って、直して居りましたら、若い男がヒョッコリ現れて、


  「それ、オジサンが倒したんか?」と、如何にも不審者を見る眼つきで申しましたので、

 「いぃや、通り掛かったら倒れちょったけぇ、直しよるんじゃが・・・。」と、申しましたら、

 「ふぅぅうぅん」と、間延びした受け応えをして、先程、私が立て直した自転車に乗って去って行きました。

 『要らんネンダー』 ( 広島弁・要らぬ御節介 ) とでも思ったのでしょうか、御礼を言って貰いたくて、やっていた訳では有りませんが、実に残念な青年でした。


 私は、町内会=親戚・姻戚関係、と、言う様な所で生まれ育ちましたので、子供の頃、毎日の様に、父や母から、

 「あののぉ、ワレ(お前)が知らんでも、相手の人ぁワレの事ぁよぉ知っちょってじゃけぇ、道で人と会ぉたり、人の家ぇ行った時やらは、相手の人より先に、時の挨拶ぅせんにゃぁいけんでぇ。ほいじゃぁ無ぁにゃぁ、儂や、おかぁが、躾が悪りぃ言ぅて、恥ぃかく様に成るけぇのぉ!」と、言い聞かされて育ちました。

 『三つ子の魂百まで』とは申しますが、未だに、その習慣が染み着いて抜けません。

 若い頃までは、美徳とされていた私の習慣ですが、近頃は、どぉも居心地が好く有りません。

 そう言う世情でしょうか。


 とは言いながら、毎日の様に散歩をして居りますと、快く挨拶を返して戴いたり、相手から先に挨拶をされたり、途中で腰掛けて休んで居る時などに、顔見知りと成った方と世間話をしたりする事も御座います。


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 暁橋からの景色・東方面


 今朝、いつもの散歩コースの帰り掛けに、買い物をしようと足を延ばし、宇品中央公園に在ります小学校唱歌「みなと」歌碑の袂で休んで居りましたら、時々御挨拶をする若い御夫婦が、通り掛かられたので、挨拶を致しましたら、普段は、挨拶をするだけなのですが、御主人が歩み寄られて、色々と御話を致しました。


 話しに由りますと、お二人は、元宇品の賃貸マンションに住んで居られるそうで、御主人は、神戸の出身で、2年前から、市内の大学に講師として赴任されており、奥さんが京都の出身と言う事も在り、話しが弾みました。

 前回のブログにも書きました、以前の元宇品の様子や、此の海岸で漁をしていた話など致しましたら、とても興味を持たれた様子で、長話と成り、1時間近くも話し込みました。

 
 私が腰を下ろしていた歌碑に就いても御存知無かった様で、碑文を読みながら、懐かしそうに歌詞を口遊んで居られました。

 その様子を見て、私が、

 「旗野十一郎言う人が、明治の中頃に作詞された歌なんじゃけど、此処の先ぃ行った、元宇品の在る宇品島へ渡る、暁橋の上から、東側の船着き場の様子を見ぃ見ぃ書きんさったんじゃそうです。」と、薀蓄を言いますと、御主人が、

 「島、ですか?!」と、少し驚いた様に仰ったので、

 「そりゃぁ、知らんのも無理ぁ無ぁよね。此処等に昔から住んじょる人でも、島じゃ思ぉちょる人は、少なぁけぇねぇ・・・此の歌が出来る、ちぃと前に、港湾整備の埋め立て工事が始まって、一旦は、本土と宇品島が地続きに成ったんじゃそうです。」

 「ほいじゃが、後に成って、此処いらに住んじょる漁師さんやら、舟で商売する人等が、通りかいするのに、ぶち遠回りせんにゃぁいけん様に成って仕舞ぉて、それで県やら国に陳情して、小舟が通れる位の航路を作り直したらしゅぅて、そん時にゃぁアーチ型の橋じゃったけぇ、此処等の人等は、「眼鏡橋」言ぅて呼びよったらしゅうて、今でも年寄りの人ぁ、「眼鏡橋」言ぅて呼びよるんよ。」と、薀蓄の上乗せを致しましたら、御主人の学者魂と、私の薀蓄に火が点いて、長話と成りました。


 
 御主人や奥さんの、宇品や広島市に纏わる、地誌や歴史等に関する質問に、私が答えながら、薀蓄を加える形で話が進みました。


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 広島城


 広島市は、太田川の河口に広がるデルタ地帯に発達した都市ですが、、中世までは、平野部の殆どは、遠浅の海であり、西側は、己斐・祇園の山裾、北側は、広島駅の新幹線口側の、二葉の里・尾長・温品の山裾が海岸線でした。

 現在も、離島である、宇品島を始め、白島・比治山・江波山・黄金山の在る日宇那・仁保姫神社の在る仁保・中町の白神社やANAクラウンプラザホテルが在る周辺も、似島や金輪島の様に、中世までは、全て沖合に浮かぶ小島で、陽光台の在る向洋の大原が、湾を囲う岬でした。


 広島城の築城が、天和5年(1589)に年に、毛利輝元により着工されたのを契機に、干拓工事が飛躍的に進み、幕末には、ほぼ現在の形と成りました。

 明治に入っても、庚午・宇品で、大規模な干拓工事が着工され、戦後に成ると、草津・観音・江波・出島・丹那・楠那・日宇那・仁保等の大規模な、海岸線の干拓・埋め立て工事が行われ、現在に至って居ます。



 此の一連の薀蓄を、広島弁で、御夫婦に話しました。



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 比治山


 「比治山って、お花見に行くとこですよねぇ・・・あそこも海やったん?」と、奥さんが聞かれましたので、

 「ほぉよね。・・・上に、漫画図書館も在るんよぉ!。・・・儂が、父から聞いた話じゃと、『親父が子供んごろに、爺さんに聞いた話じゃと、爺さんの曾曾爺さんの頃にゃぁ、比治山の浜で、鯛網ぃぃ曳きよったんじゃげな。』、言ぅて言ぃよったけぇ、祖父が、子供の頃を、単純に100年前として、祖父のお爺さんの、曾曾爺さんの代言ぅ事じゃヶぇ、祖父の6代前になるけぇ、1代25年計算で、単純に言ゃぁ250年前言ぅ事ん成るんかのぉ。」と、自分でも、疑心暗鬼でこたえました。


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 江波 の おさん狐


 「あのぉ~ぉ、エバって、どこですか?」と、奥さんが聞きました。

 
 「えっ!江波ぁ知らんのん?」

 「たまぁに、名前は聞くんやけど、行った事も無いしぃ、何処らへんなんか、知らんのんですぅ。」

 「まぁ、しょぉがなぁよ。江波にゃぁこれ言ぅて、何もなぁけぇねぇ、行く様な用事もなかろぉけぇねぇ・・・あっこも、元は島でねぇ、「まんが日本昔ばなし」にも出てくる「おさん狐」の話やらも残っちょるんじゃけど、江波、言ぅなぁ、宇品からじゃったら、西に向いてって、3本目の、本川を渡って、ちぃと行ったら、路面電車の通りと交差するけぇ、それが、広電の江波線なんじゃけど、そこを左に曲がって真直ぐいきゃぁ、自然と終点に辿り着くんよ。」    

 「小高い山の上にゃぁ、「江波山気象館」言ぅて、元は、広島の気象観測所じゃった文化施設が在って、展示やら、イベントとかも遣りよるらしぃわぁ・・・そぉ言ゃぁ、山の上に、広島じゃぁ老舗のフランス料理の「シェ・山来」言ぅレストランが、在るんじゃけど、若いごらぁチョイチョイ女の子やらぁ連れて行きよったんじゃが、儂ゃぁ独りモンじゃけぇ、オジサンが独りで行くんは、風が悪りぃけんねぇ、独りで行く様な店じゃぁ無いんよ・・・長ぁ事行っちょらんけぇ、よぉ分からんけど、評判はえぇみたいなけぇ、御夫婦で行っちゃったらえぇよ。」と、言うと、

 「他にも、御勧めの店とか有りますか?」と、御主人が聞かれましたので、

 「ほぉよのぉ、御勧め言われてものぉ・・・江波じゃったら、ラーメン屋の「陽気」言ぅ店の本店が有名じゃけど、江波山の南げらに在るんじゃけど・・・儂が、小学生のごらぁ、ラーメン屋台をしよりんさって、儂の伯父さんが、よぉ食いに連れてって呉よったんじゃが、中学生のごろじゃったかに、今ん処に店ぇ出しちゃった言ぅんで、伯父さんが連れてって呉れたんよ。」

 「ぶち旨かったんを憶えちょるよぉ・・・ほいじゃがねぇ、あんごらぁ、今みたいに、グルメじゃ何じゃぁ言ぅ時代じゃぁ無かったし、この国自体も、今ほど豊じゃぁ無かったけぇ・・・若し、今の人がタイムスリップして、あの時のラーメンを食べても、そがいに旨いとは思わんと思うよ・・・今頃の人ぁ、舌が肥えちょるんじゃけぇ・・・それにねぇ、「食い物」言ぅなぁ、「好み」じゃけぇ、どがいに旨い行列店のラーメンたぁ、出前一丁の方が旨い言ぅ人が居るんじゃけぇ・・・こりゃぁどぉ仕様も無い事じゃ思うんよ。」
と、言いますと、

 「結局、そこのラーメン、美味しくない言ぅ事ですか?」と、御主人が言いましたので、

 「いやぁぁ、そこそこは、上手いと思うんじゃけど、儂の口にゃぁ合わん言ぅだけよね。」


 
 「それじゃぁ、土師さんは、何処のラーメンが好きですか?・・・僕、ラーメンが好きなんで、教えて貰えませんか。」と、聞かれましたので、


 「前はねぇ、B級グルメ道を極める言ぅて、友達やらと、あっちこっちの店を食べ歩きよったんじゃけど、足ぃ悪りぃしてから、デブの出不精に成ったけぇねぇ・・・ほれに、独りじゃと、ラーメン屋にも、よぉ入れん性分じゃけぇ、前ほど食べに行く機会が減ったんじゃけど・・・あくまでも、儂の好みじゃけど、東白島に、「松馬」言ぅ店が在って、儂は、ニンニクが駄目じゃけぇ、普通のラーメンを食べたんじゃけど、連れの話じゃと、黒や赤が旨いらしいよ。・・・それと、宇品から近い所じゃと、丹那、言ぅて、南警察署のチョッと先に成るんじゃけど、黄金山通りの海側に、「二代目もんごい亭」言ぅ店があって、そこも、割と旨いよ。・・・どっちか言ゃぁ、こっちの方が、儂の好みに近ぁかも知れんねぇ・・・じゃが、最近は、食べ終わった後に、もう一杯欲しいと思う様なラーメンにゃぁ、広島じゃぁお目に掛かれちょらんねぇ。と、言いましたら、


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 本土と宇品島を繋ぐ暁橋


 別れ際に、ふと思い出しまして、

 「昔、父から聞いた話じゃけぇ、ほんまかどぉかは分からんのんじゃけど、暁橋は、離島と本土を繋ぐ橋じゃぁ、日本一短い橋なんじゃそぉです。」と、言いますと、

 「そうなんですか・・・そうでしょうねぇ、今まで、岬やと思ぉてたぐらいですから・・・今日は、ほんとうに有難う御座いました。」と、笑顔で会釈をされて去って行かれました。


 仕事柄、と言う事も有るのでしょうが、とても品の良い御夫婦です。


 休み中は、天気が悪かった所為もあり、近くに住む、妹の所へ行く以外は、取り分けて外出はせず、独り住まいの私は、精々、コンビニの店員の方に挨拶をするくらいでしたから、人恋しさも手伝ってか、長話をして仕舞いました

 
 今日は、母の誕生日だった事を想いだし、生きていたなら何歳だろうか、とか、正月は、私が作る雑煮を楽しみにしていて呉れた事など、あれもこれも次々と思い出され、少し寂しい気持ちに駆られながら、買い物に向かいました。・・アジアの片隅より

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by asianokatasumiyor | 2015-01-03 22:16 | 日常の風景